大手商社を辞めて渡米、そして突然のリストラ。50代で「三度目の新たな人生」を歩み始めた尾関さんの生き方に迫る。

海外での仕事に憧れ、某有名私大を卒業し大手商社に入社した尾関さん。エリート街道から一転、身ひとつでロサンゼルスに渡りエンジニアとしてのキャリアを築く。夢を叶える一方で波瀾万丈な人生を歩んできた尾関さんが、自らの経験と気づきを語る。

尾関 さん(男性/52歳/システムエンジニア)
岐阜県出身。名門私立大学を卒業後、大手総合商社へ入社。30歳でアメリカ・ロサンゼルスに渡り、エンジニアとして日系商社で約20年間ソフトウェア開発に携わる。現在はロサンゼルスに在住しながら、フリーランスとして大手日系金融企業のシステム開発を行っている。

海外勤務を夢見て商社へ入社。そこで感じた”理想と現実のギャップ”

ーー新卒で大手総合商社に入られたとのことですが、入社当時のことを教えてください。

中学生の頃から海外へ興味があり、大人になったら海外で仕事をしたいと思っていました。成人を迎えてもその熱が冷めることはなく、大学時には海外駐在ができる商社一本に絞って就職活動をし、念願の大手総合商社に入社することになりました。

入社してからは鉄鉱石の輸入に携わる仕事で、朝から晩まで働きました。
なかなかのハードワークでしたが、”引退するまでに、3回はアメリカやヨーロッパに駐在をするんだ!”入社当時はそんな希望が仕事を頑張るモチベーションとなっていました。

尾関さん1

ところが、入社から4年経っても海外転勤の話は舞い込んで来ませんでした。
それから1年後ようやく海外への駐在を打診されましたが、行き先はブラジル。やはりアメリカや欧州でのキャリアを築きたいという夢は捨てきれず、迷いの末にブラジル駐在の話を断ることにしました。

ーーブラジルに行くと、アメリカ駐在の可能性が低くなってしまうのですか?

ブラジルに一度行ってしまうと、今後はポルトガル語圏での勤務専任になる可能性が高いのですよね。

その後は海外勤務の話が来ることはなく、自社の資産運用をする部署へ異動することになりました。
誰かが勝って誰かが負ける、今日は勝っても明日は負けるかもしれない。ディーリングはそういう世界なんです。

そんな毎日を過ごし心身共に疲れ果てていたこともあり、
”俺はこのまま生涯、勝ち負けをずっとやっていくのか”
“今まで自分を騙し騙し働き続けてきたけど、このまま身を粉にして本当にアメリカへ行ける日が来るのか”
“このまま会社の歯車で終わってしまうのではないか”

と、不安や虚しさが付き纏う毎日でした。
そしてやっと踏ん切りを付け、憧れて入社した商社を入社6年目で去ることにしました。

新たな価値観と出会い、憧れのアメリカへ。

ーー思うようなキャリアを築くことが難しい、大変な毎日だったんですね。退職後は何をされたんですか?

今後のプランなんて何もなく、会社を辞めちゃったんですよね。(笑)
時間もあり、大学から会社を辞めるまでの10年間東京から出ることがなかったので、思いつきでバイクで北海道まで放浪することにしました。

夏の北海道は全国のバイカーが集まってキャンプをすると聞き、私もアウトドアに参加したのですが、そこで今まで関わったことのないような人達と出会いました。

キャンプ

みんなでテントを張ったり食事を持ち寄って同じ釜の飯を食ったりしながら、互いのことを語り合いました。そこで自分の知らない世界を知り、新たな価値観に触れ「自分がいた世界ってなんて小さかったんだろう」そう気づかされたことを今でも鮮明に思い出せます。

同時に彼らの話は「今は身軽なんだ。もう捨てるものがないんだったら、やりたいことをやってみよう」と思える勇気を与えてくれ、アメリカ行きを後押しするきっかけとなりました。

ーー今まで知らない世界を知ったことが、アメリカへ行く勇気を与えてくれたんですね。アメリカに行かれてからはどんな生活をされたんですか?

北海道に放浪し思い立ってからわずか2ヶ月、身ひとつでロサンゼルスへ行きました。
私のことを知っている人は誰もいないし、日本で積み上げてきたキャリアが通用する地ではありません。
しかし、だからこそ「新たな人生を始められる」気がして、嬉しさを感じたことを覚えています。

アメリカの大学を出ていないため就職活動は難航しましたが、大学の頃公認会計士やプログラミングの勉強をしていた経験を買われてどうにか日系の商社に拾われ、そこでエンジニアとして仕事を始めることになりました。

当時はITバブルの時代で、テクノロジーがキラキラと見える時代です。インターネットを使えば世界中のどこからでも自社内のデータベースをアップデート出来る、それだけで物凄く心が踊る感じがしました。

また、日本の商社時代と比較して会社の規模が小さいこともあり、お客さんの顔が直接見えるようになり、お客さんの喜びがダイレクトに成果として返ってくることが嬉しかったです。

握手

さらにお客さんはNY、LA、ダラス、シアトル、シカゴ、アトランタと全米中にいて、自分が作ったものがアメリカ中で使われているということ、そしてアメリカ人と一緒に働けるというのもついに夢が叶ったような気がしました。

そんな喜びを感じながら、その会社では19年もの間勤めることになったのです。

一本の電話でリストラに。戸惑いの中で気づけた今後の軸。

ーーついに夢を叶えやりがいを感じながら働いていたのに、会社を辞めてしまったのはなぜですか?

2021年 金曜日の夜のこと、人事から一本の電話がかかってきたんです。
「あなたが会社に来るのは今日が最後です。来週からは会社に来なくてよろしい。」という内容の電話でした。
突然の解雇通告に、大きなショックと戸惑いを感じずにはいられませんでした。

社長交代による組織の再編成という、あまりにも理不尽な理由でリストラとなり当然ショックと怒りが込み上げてくることもありました。

尾関さん2

ただ、冷静に気持ちを整理するうちに「人間が作った組織がいかに不安定か」ということ、そしてそれに全く気がつかず、「人生や家族を預けていた危うさ」に気がついたんです。

しかしまだまだ長い人生。チャンスは必ずまた巡ってくると信じ、気を取り直して新しい仕事を探しました。

ーーすごく衝撃的な出来事ですね。。そんな大変な出来事を経て、尾関さんの中で何か変化はありましたか?

そうですね、まずは会社や人という不安定なものに身を預けないことに決めました。
この時すでに50歳を超えており、今後覚えや思考力が衰えてくると考えると、プログラマーはそろそろ引退どきかなと前から少し思っていたのです。なので、このタイミングでマネジメントの仕事に挑戦したいと思いました。

あとは今まで時間をかけて通勤をしていたのですが、家族と共に過ごす時間をつくりたいという想いもあり、家と近い場所や在宅で働ければと思っていました。

今回のリストラは、そういうことを叶えられる良いタイミングだったのかなと今では思います。

今日が一番若い。だから現状に満足せず、果敢に挑戦し続ける。

ーーまさにピンチをチャンスに変えたということですね!今はどのようなことをされているのですか?

1年前アメリカの派遣会社に登録し、派遣先である日系大手金融会社にて、プロジェクトマネジメントをしています。

1年更新の契約ではありますが、「経験を積んで自分のペースで色々な案件をしてみたい、そういうのが自分には合っている」と思っているので、会社に縛られない身軽な働き方が自分には合っていると感じます。

コード

あとは、副業として日本のスタートアップでフロントエンジニアの案件もやりました。
実は次の働き先を探している時にエイジレスと出会い、紹介いただいた案件なんです。

元気が良くて、頭が良くて、スピード感もある、そんな日本のスタートアップの方々とアメリカからリモートで仕事を一緒にできるというのは私にとって大変貴重な経験になりました。その会社で新しいスキルに挑戦することもできて、キャリアの幅を広げる機会を頂けたと思っています。

そんな風に仕事をしていると、「今日が一番若い」と最近思います。

何かしたいと思ったその瞬間と、5年後10年後を比較すると、今日が一番若いわけです。
「あと10歳若ければ・・・」と10年後に後悔しないように、チャンスが巡ってきた瞬間にアクションを起こしてチャンスをものにするしかないなと思いますね。

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ーー最後に、同世代の方へ伝えたいことはありますか?

私がエールを送るというのも恐縮なので、代わりに好きな言葉を紹介します。

「Stay hungry, stay foolish」

「現状に満足して歩みを止めるな。馬鹿であり続けろ。」という意味なのですが、これはスタンフォード大学の卒業式でスティーブ・ジョブズがスピーチの締めに述べたものです。

四季の移ろいと同じように、古いものは新しいものに取り替えられる。
人間も同様に誰しもタイムリミットがあって、どんなに成功しても次世代の人がどんどん新しい時代に塗り替えていくもの。人生には限りがあるのだから、常識にとらわれず、この瞬間に果敢に挑戦しなさい。
そんな言葉を卒業生に送ったのですが、これは私たちの世代にも通じる言葉だなと凄く感銘を受けました。

人生には時間の限りがあるのだから、誰かが作ったテンプレートの人生から外れることを恐れず、自分が納得することをやろう。そんな勇気を奮い立たせてくれるんですよね。

今までかっこいいことばかり語ってきましたが、裏を返せばアメリカに逃げてリストラされたから送れた人生って言っても過言ではないんですよ。人生には良いことも悪いことも起きる。思い通りにいかないことが起きた時、自分の生きたいように行動した結果、今私は自分の人生に納得しています。
でも決して現状に満足せず、まだまだ私の「新しい人生」を模索し続けたいと思っています。

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執筆者
エイジレスメディア編集部
エイジレス社会の専門誌として、すべての人が何歳でも豊かな暮らしを紡げるよう有益な情報を発信していきます。主に、エイジレスなビジョンを体現している人物や組織へのインタビュー記事を執筆しています。