50代転職で気づいた【スキル棚卸し】の重要性。起業後もチャレンジを続ける戸田さんのこれから。

順調だったキャリアを手放し、55歳でベンチャー企業に転職した戸田さん。失職寸前まで追い込まれた中で、一貫して持ち続けたビジョンと、偶然見つけた気づきが今後の生き方の重要な鍵となる。現在は起業して、20代から持ち続けている大きな野望の実現を図る戸田さんの、これまでの人生と今後の展望を伺った。

戸田 勝久さん (男性 / 58歳 / インフラエンジニア・PMO)
長崎県出身。大学卒業後、出版社へ就職。その後インフラシステムを開発・運用する企業に約20年間勤務し、PMの役職まで登り詰める。55歳で基盤システムの構築等を行うベンチャー企業に入社後、金融システム等の開発スタートアップ企業に転職。現在は中堅IT企業の顧問をはじめとしたメンター支援活動を行う。

情報誌編集者がエンジニアになるまで

ーファーストキャリアが情報誌の編集者ということですが、なぜ出版社に入社されたのでしょうか。

新卒でアルバイト・正社員の求人情報誌を出版する企業に入社しました。 元々マスコミ志望だったということもありますが、「能力で平等に戦える働き方や労働環境」というテーマに関心があったのです。それで、求人を扱う会社であれば携われるのではないかと思い入社を決めました。

入社当初は編集の見習いとして、校正担当を行っていました。

ー雑誌の編集からシステムとだいぶ違う道に進まれますが、どのような経緯があったのでしょうか。

社内に欠員が出たということで、入社から半年して校正からシステムを扱う部署への異動が命じられ、社内SEとして業務システムの保守を担当することになりました。

取材を受ける戸田さん1

ーいきなりシステム保守の変更となり、どのように思われましたか。

仕事内容も職場の雰囲気もガラッと変わったので、やはり最初は戸惑いました。ただ、システムも情報誌の制作も「モノをつくる」という点が共通しているんですよね。仕事をしていくうちにプログラムの楽しさを見出していきました。

当時は顧客管理システムや書籍配送を管理する事務系・CTS(電算印刷)システムの保守対応を行っていましたが、自主的に外部の研修を受けて技術を学ぶなんてこともやっていました。

社内SEを10年くらいやった後、編集の現場へ戻ることになりましたが、時代の流れや収入のことを考えると、ITの道を進み続けたいと考えるようになりました。そして、33歳の時にインフラシステムを開発・運用するSIerへ転職しました。

苦労も喜びもあったエンジニア人生

ー仕事の面白さや将来性が決め手となり、ITの道に進まれたのですね!次の会社へ入社した決め手は何だったのでしょうか。

私の大切にしていた「年齢や経歴ではなく、個人の能力を重んじる職場」であったことから入社を決意しました。もちろん待遇の良さも決め手の一つではありましたが(笑)

入社した1997年当時はITが活況した時代だったこともあり、大きな期待を胸に入社をしましたが、出版社にいたときとはレベルやスピード感がまるで違ったため入社して2週間で心が折れてしまいましたね。ベテランの先輩にOJTについてもらい、あらゆる案件に必死で食らいつきながら、エンジニアとしての素地を養っていきました。

取材を受ける戸田さん2

ーレベルの高い環境で下積みしながら、スキルを身に付けていかれたのですね。その後こちらの会社に約20年ほど勤められているようですが、どのようなキャリアを歩んでいったのですか。

一定のスキルが身に付いたので、銀行統合に伴う大規模プロジェクトや、カードシステムの案件に参加させてもらえるようになり、要件定義から設計・プログラミング・保守を行いました。

開発の一連の工程を経験した後、クライアントと直接関わる仕事を担当することとなり、40代前半でPMに転身しました。 人と関わることが好きな私は、お客様のニーズに応えること、そしてその先に信用が得られることにやりがいを持っていました。 お客様に満足いただきたい一心で、今では考えられませんが、クライアント先の社員教育までやらせてもらっていたのですよ!(笑)

その後、マネジメント系のスキルを身につけるために、40代前半でPMOのキャリアを歩むこととなり、そこから54歳まで数々のインフラ案件のPM・PLを務めました。

一方、冒頭でもお話した「働き方」への問題意識を常に持ち続けていました。そこで、悩んでいるエンジニアが気軽に相談できる労働環境にすべく、自社の活動である社員代表になり「メンターの導入」に取り組んだこともありました。

54歳の転職活動。やっとの思いで入社した先に待ち受けていたのは。

ー順調にキャリアを積まれてきたように思いますが、54歳の頃突如ベンチャー企業に転職されますよね。一体何があったのですか。

仕事内容も申し分なくやりがいを感じていましたが、いつの間にか「役職定年」が徐々に近づいてきました。 役職定年になり再雇用になると、どんなに頑張っても待遇が上がることがなく、むしろ下がることになり関わる仕事の幅も制限されてしまいます。当時、私は60歳を超えても、これまでと同じように働きたかったのです。なので、定年がない会社への転職を決意しました。

ー思い切った決断ですね!周りの方の反応はいかがでしたか。

やはり全員に驚かれましたし、今更転職なんてやめとけ、と止められました。周囲の反対を押し切り転職活動を始めましたが、思い通りにはいかず、100社応募して、面接を受けられたのは50社ほどです。面接をパスしても、年齢を理由に給与が100万円も下がるなど待遇面で折り合わず、難航しました。

取材を受ける戸田さん3

ーだいぶ苦戦されたのですね。

やっと条件面で納得ができ入社を決めたのが、基盤システムの構築などを行うベンチャー企業でした。そこではインフラ構築の案件に携わったのですが、新たにクラウドの案件にも挑戦し、それなりの評価をいただくことが出来ました。

今後はクラウドの知識を活かしたPMもやってみたい。 そんなことを考えていた矢先に襲ってきたのが、コロナショックです。コロナの影響で案件単価の大幅下落が起き、人件費のカットで失職寸前まで追い込まれてしまいました。

シニアだからこそ、キャリアの棚卸しが大切

ーなかなか大変な状況が続いてしまったのですね。そこからどのようなことがあったのでしょうか。

このままではいけないと求人を探していた矢先、ある方との出会いがありました。

その方はデータベースエンジニアを探していたのです。実は30代の頃データベースの案件をやっていたので何気なくそのことを話すと、大変驚かれました。その流れで面談し、契約社員として入社することになりました。

正直、データベースエンジニアをやっていたことなんて20年以上も前なので忘れかけていましたが、言われてみると確かにデータベースが分かるPMOは希少かもしれません。 思わぬ出来事ではありましたが、こうやってスキルの棚卸しをすることで、自分の価値を再発見できるのだと気がつきました。

取材を受ける戸田さん4

戸田さんの今後の野望

ー現在は何をされているのでしょうか。

今は「イニシエイトワークス」という会社を創業し、昔社員代表の時に取り組んだ「メンター導入」の経験を活かして「社外1on1」という、エンジニアが社外のメンターに気軽に相談できる活動をしています。

きっかけとなったのは、「エイジレス」との出会いです。

契約終了が近づき新たな仕事を探すためにエイジレスを利用した際に、面談担当の方からお聞きした「エイジレスな社会の実現」というビジョンに私は大変心惹かれました。 立場や年齢に関係なく、誰もが理不尽な思いをすることのない労働環境をつくりたい。私がやりたかったのはこれではないか。

そんな熱い気持ちのまま、自分が新卒時代からずっとやりたいと思っていた「労働環境改善」に関わる事業を始める決意をしました。

働き手の善意によって会社が支えられ、エンジニアが無理をしている現場も少なくありません。そういったエンジニアの労働環境を変えたいと思い、社外1on1の活動を始めました。

また、今後はシニア層の就業支援も出来ればと考えています。年齢により仕事の幅に制限がかかり、労働環境・待遇まで変わることで、これまで頑張ってきたシニアの方が行き場を失いかねない「役職定年制度」に苦しむ人を救いたいです。

スキルの棚卸しをサポートして、頑張りたいシニアの背中をちょっとだけ押す。そういう存在になり、モチベーションのあるシニアの方と一緒に頑張れる仕組みを作っていきたい、今はそういう野望があります。

取材を受ける戸田さん5

ー戸田さんと同じく「これからも頑張りたい!」と思われているミドルシニア層の方へ伝えたいことはありますか。

「あと10歳若ければチャレンジしていたのに」と感じることもきっとあるのではないでしょうか。でも、10年若くないからやれない、なんてことは本当はないんじゃないかと私は思います。今やっても遅くないと思うので、ぜひやりたいことは果敢にチャレンジしていただきたいです。一緒に頑張りましょう!

【編集後記】
戸田さんのインタビューからは、終始向上心を感じた。「理不尽な労働環境をなくす」という一貫したビジョンを持ち続け、これまでの経験を活かして挑戦し続ける戸田さんの眼差しから、覚悟と情熱がひしひしと伝わってきた。これからも向上心と熱い想いを持ち続け、キャリアや仕事で悩む人のためにチャレンジし続けるのであろう。今後の更なる活躍に期待が高まる。

取材:網頭 翔真
編集:エイジレス編集部

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執筆者
エイジレスメディア編集部
エイジレス社会の専門誌として、すべての人が何歳でも豊かな暮らしを紡げるよう有益な情報を発信していきます。主に、エイジレスなビジョンを体現している人物や組織へのインタビュー記事を執筆しています。