定年間際で転職を決意。警備員から内閣府官僚、そして新たなやりがいを求めるPMとしてのキャリアとは

高卒で警備員となり、50代で内閣府官僚になった異色の経歴を持つ西岡さん。堅実なキャリアを歩んだ西岡さんだが、定年を目前にして厳しい現実に向き合うこととなる。現在も第一線でシステム開発を行うと共に若手の育成に奮起する西岡さんが、これまでの人生と教訓について語る。

西岡 照夫さん (男性 / 59歳 / プロジェクトマネージャー)
広島県出身。高校卒業後、実家の酒屋を手伝いながら警備員や国鉄職員として勤める。その後広島大学に出向・転籍し、経理や会計分野のシステム開発を行う。54歳で内閣府に出向し、参事官補佐として官公庁向け研究開発システム開発プロジェクトのPMを務める。現在はフリーランスでプロジェクトの推進やシステム開発、さらに若手の育成を行っている。

“二足のわらじ”から築いたキャリア

ーまず西岡さんのファーストキャリアを教えてください。

私のキャリアは酒屋からスタートしました。

本当は大学に進学する予定だったのですが父が倒れてしまい、高校卒業後すぐに実家の酒屋を手伝うことになりました。昼間は酒の配達をする傍ら、生計を立てるために夜は警備員をして生活していましたね。

社会経験もなく怒られてばかりで大変な日々でしたが、警備会社で人生の大先輩の方々から学んだ「人との縁を大切にする」という教えが人生の軸になっているので、このような経験をしてよかったと今では思います。

西岡さん1

ー若い頃から苦労をされていたのですね。次のキャリアとして日本国有鉄道(国鉄)で勤務されるのですね。

酒屋の手伝いと両立でき、警備の仕事より安定している国鉄に試験を受けて就職しました。国鉄では踏切の警手や売店の店員を担当していましたが、みどりの窓口のシステム(MARS)に関わる仕事に携わってみたいという思いがあり、通信教育でシステムの勉強をしていました。当時はPCで機械を操作するのがガンダムのオペレーターというイメージで少し憧れがあり、実は高校時代からシステムに興味を持っていたんですよね。

24歳の頃、広島大学に出向となり、工学部の研究室を経て教育学部の会計係として予算の管理の仕事をしました。ここで汎用機で動くHDMというデータベースを用いた簡単なコマンドベースで固定資産のデータ入出力を管理する仕事をし、そこで初めて業務の中でシステムに携わりました。

30歳手前で2人目の子どもが生まれた時期に、国鉄からの出向扱いから広島大学の正職員に転籍しました。国鉄からの出向時代は年収が250万円程度でしたので、当時はバブル景気でしたが、我が家にはバブルが来なかったですね。(笑)

広島大学のシステムリプレイスを経験。同僚から頼られる開発者に。

ー国鉄職員から、正式に広島大学の職員になられたのですね。本格的にシステム開発をされるのはいつ頃、どのような経緯だったのかを教えてください。

正職員になって数年後、教育学部の事務室から大学本部の経理部に異動になった時です。 手書きの支払決議書や伝票処理をメインフレームのCOBOLで処理に移行する時期に偶然配属され、経理の仕事を行いつつ担当業務のシステム化も並行して担当することになりました。 つまり、今で言うところの“現場のDX担当”になったということです。

古いパソコンの写真

ーその頃からDXをやるって結構先進的ですよね。どのようにシステム化を進めていったのですか?

私はPC上で動くCOBOLの書き換えを担当していました。元々ベースとなるロジックを大阪大学からもらってきたのですが、広島大学のシステムに合わせて書き換える必要がありました。 あとは、クライアントが作った支払決議書のデータを、メインフレーム上で支払い処理出来る仕様にし、広島大学側で予算管理をするプログラムを一から作りました。

独学なので大変ではありましたが、同僚から「こんなもの作れない?」と頼られることが増え、それが嬉しくてどんどん技術を磨いていった感じです。

そこから授業料などの債権管理をするシステムや、学生証の磁気カードから学生番号を読み取るようなシステムを作る機会もあり、あらゆる開発の経験を積むことができました。

積み上げていった25年のスキルを内閣府で活かす

ー同僚の方から頼られることがモチベーションになっていったのですね。そこからどういった経緯があり内閣府にで仕事をされるのですか?

広島大学で会計×システムの仕事に25年ほど従事し、2017年に内閣府へ出向になりました。

2004年に法人化された国立大学への予算削減の影響を受け、広島大学で経営分析のシステムを作るプロジェクトを立ち上げ、PMを務めていました。

ちょうど内閣府の方でも、日本の科学技術力を分野ごとに分析し政策立案や大学経営のエビデンスとするため、全国の国立大学や研究法人の研究者情報を集めてデータ分析化するための仕組みをつくるプロジェクトを計画していました。 大学関係者の中でデータ分析の出来る開発者を探していて、内閣府からお声が掛かったというわけです。

表計算やグラフの画面

ー今までのキャリアが認められて国家の一大プロジェクトに招かれたのですね!内閣府でどのようなお仕事をされていたか教えてください。

先述した科学技術データ分析システム(内閣府エビデンスシステム[e-CSTI])をつくるために、研究開発のデータを各大学から標準化したフォーマットで集めるチームのリーダーを担当していました。並行して、文部科学省が所管していた「研究資金調達および研究者情報システム(府省共通研究開発管理システム(e-Rad)ポータルサイト)」を、内閣府に移管し刷新するプロジェクトのPMも任されていました。

さらに、参事官補佐というポジションでしたので、国会答弁をつくるなどの仕事も行っていました。

どれもやりがいの大きい仕事ではあったのですが、精神的な負担が大きく・・・膠原病という病を発症し、最終的には救急車で運ばれるほどの重症になりましたので、4年半で広島に戻らせてもらうことになりました。

趣味のロードバイクをする西岡さん▲4輪レースが趣味の西岡さん。一時体調を崩したものの、今は元気に趣味も楽しんでいるそうです。

帰任後に直面した厳しい現実と、新たな挑戦

ー広島大学に帰任されてからは、どのようなお仕事をすることになったのですか?

広島大学に帰ると、予想に反して全くシステムとは関係ない仕事を任されることになりました。 さらに、正直経歴に見合わないポストしか用意されず、帰任半年後には一層待遇が悪くなっていくのを感じました。

「こんなことのために、今まで頑張ってきたわけじゃないのに。」

そんな惨めな思いと将来への不安から、転職を考え始めました。 58歳で定年間際でしたが、 『ここで今までのキャリアを捨てるくらいなら、いっそキャリアを活かした新しい仕事をしたい。』 そう考えたのです。

一歩踏み出すイメージ

ー苦しい思いをされて転職に踏み切ったのですね。転職活動当時のことを教えてください。

これまでの経歴を活かせる、官公庁から受注しているSIerを中心に仕事を探しました。 2021年末くらいからエージェントを使って転職活動を始めましたが、二次面接で落ちてしまうことが多かったです。それは年齢のことに加え、役所勤めが長く民間企業でやっていけるかが不安視されていたのだと思います。

なかなか納得いく条件で内定が決まらない中、2022年の7月くらいにエイジレスを利用しました。最初の印象としては変わった名前だなと、少し半信半疑な気持ちでした。

しかし、キャリアアドバイザーの方との面談で、他のエージェントとでは感じられなかった好感を覚え、「なんか私に合った仕事を紹介してくれそうだ」と直感で思いました。

実はこの時、他の企業でシステム開発でのPMで正社員の内定があり、受けるかどうか迷っていたんですよ。そんな時にエイジレスから紹介された仕事は待遇が良く、何よりやりたい仕事だったのです。それが決め手となり、そちらを受けることにしました。

西岡さんの現在と、同年代へ伝えたいこと

ーエイジレスで納得いく転職ができて大変嬉しいです!今はどのようなお仕事をされているのですか?

今はフリーランスとして、システム開発を行う会社に携わり、PMOを行っています。 また第一線で仕事ができてとてもやりがいを感じています。

それだけでなく、関わるのが経験の浅い若手の方が多く、自分の経験を教えながら開発を進めていくのも楽しいです。 次世代を担う方達の育成に携わり、自分のキャリアを人のために役立てている実感が持てて嬉しく感じます。

西岡さん2

ー今後やりたいことは何ですか?

私の得意分野でもある、COBOLとSAPの導入やマイグレーションの経験を活かして、生涯現役でやっていきたいなと思います。

ー最後に、同年代の方に伝えたいメッセージがあれば教えてください。

一回きりの人生、一度くらい自分のいる世界から一歩踏み出してみるのもありかなと思います。

私もそうでしたが、この歳になると特に、自分の経験を過小評価しがちです。 ただ、これまでの頑張りを評価し、求めていただける会社も中にはあることが転職活動を通じてわかりました。 それだけでも自信に繋がりますから、自分の価値を確かめるために今の仕事を続けながら転職活動をするのもいいと思います。

人生100年時代、50代で新しい挑戦をしてみるのも、案外悪くないですよ。

取材:網頭 翔真
編集:エイジレス編集部

▼関連する記事はこちら

アバター画像
執筆者
エイジレスメディア編集部
エイジレス社会の専門誌として、すべての人が何歳でも豊かな暮らしを紡げるよう有益な情報を発信していきます。主に、エイジレスなビジョンを体現している人物や組織へのインタビュー記事を執筆しています。