65歳でRubyを習得。航空自衛隊から72歳でスタートアップに転職した人生を聞く。

1969年に航空自衛隊へ入隊した田中さん。時を経て、現在は72歳という年齢でスタートアップ企業に転職しWEBエンジニアとして活躍している。定年退職後の職探しは順風満帆ではなく「年齢の壁」を感じることもあったという。今回は、そんな田中さんがスタートアップ企業へ転職に至るまでの経緯と今尚チャレンジをし続けるその精神について伺った。

田中義太郎さん (男性 / 72歳 / システムエンジニア)
和歌山県出身。高校卒業後、航空自衛隊へ入隊。コンピュータ通信システムの設計・構築・運用業務に従事。約35年勤務し定年退職。その後も10年以上に渡り業務システムの開発・保守、原子炉管理システムの開発を経験し、現在は株式会社ぴんぴんころりにてエンジニア業務を担当。
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ファーストキャリアは航空自衛隊

ーファーストキャリアが「航空自衛隊」ということで、そもそもなぜ田中さんは自衛隊に入ろうと思ったのですか?

田中さん:初めのきっかけは、学校みたいで面白そうと思ったからです(笑)。私が浪人して大学受験の勉強をしている時に、同級生の友達が陸上自衛隊に入って話を聞いていたんですよね。

午前中は座学、午後は訓練。訓練を体育だと思えば学校生活みたいで悪くないんじゃないかと。そんな軽い気持ちで自衛隊に入りました。

ーそうだったんですね。実際、訓練はきつくなかったですか?

田中さん:体力的には大変でした。航空機関連の仕事につきたいなと思っていたんですけど、上司から無線通信の仕事を振られてしまって。航空自衛隊内部の学校で通信技術などを日々勉強して、大変でしたけど新しいことを学ぶのは好きだったので乗り越えられました。

ーいきなり無線通信の仕事をすることになったんですか。もともとそういうバックグラウンドがあるわけでもなく?

田中さん:そうですね。当時、通信機器の仕事をやりたがるような人もいなくて、本当に昔の映画に出てくるような細かい繊細な作業で神経も使うので。

私が趣味でラジオを組み立てたりと、一応そういう経験があったのでなんとなくは理解があったというのはありました。

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無線通信を経て、コンピュータの仕事へと

自衛隊からエンジニアに転職_インタビュー

ー趣味でラジオを…、すごいですね。

田中さん:昔から科学には興味があって、好奇心で新しいテクノロジーに触れたいというのはありました。中学生時代は、無線通信機を自作して電波を飛ばし、近所のテレビに影響を与えたこともあります(笑)。

航空自衛隊に入ってからも通信機器に関する仕事をしばらくやっていましたが、そのうちコンピュータの仕事も任されるようになって、その時に初めてプログラミングというものに触れました。

ー当時はどんなものを開発していたのですか?

田中さん:一言でいうと、電報交換システムです。A基地からB基地へメッセージを届けるようなものですね。

今ではなかなか想像がつかないかもしれませんが、メインフレームというコンピュータにアセンブラというプログラミング言語を直接打ち込んで開発していました。処理速度も遅ければ、メモリも少なく、目標の処理量を引き出すためには苦労しました。

ー一番大変だった思い出は何かありますか?

田中さん:色々ありましたけど、やはりマニュアルも何もない状態で開発するのは非常に苦労しましたね。若いからこそできていましたけど、今ではとても考えられないです。 どのコマンドで何の動作をするのかわからないので、触りながら学んでいくしかないんですよね。

この時の経験があったからこそ、どんなプログラミング言語でも抵抗なく学べるようになったというのはあると思います。今時、どんな言語でもきちんとドキュメントが整っていますからね。

定年後は職探しに苦労。1年のブランク

ー田中さんのルーツを聞けたような気がします。その後は定年退職するまで航空自衛隊にいたんですね?

田中さん:はい、そうです。自衛隊にいたからこそ、最新の技術に触れられ、新しい仕事にも携われたのは有り難かったです。汎用機やミニコンのプログラム開発、初めはプログラマーとしての仕事が多かったですけど、システムの設計や運用管理など様々な経験ができました。

定年後は腰を据えてハードウェアの勉強をしたいと思い、本を読みながらモーター制御や温度制御ができる機器の設計に取り組んでいまして、仕事もこういったハードウェア系で探していました。

ところが仕事がなかなか見つからず、定年退職後は仕事探しに苦労しまして、1年くらいはブランクが空いてしまいました。

ー田中さん程の技術があっても定年後は職探しに苦労されたんですね。

田中さん:1年仕事をしていないと流石に経済的に厳しいものですから、なりふり構っていられず、ハローワークで見つけた市役所のコンピュータシステムを改修する案件が定年後初めてのお仕事でした。

正直、ストレスを感じてしまって、納税のよくわからないシステムを依頼されるがままに改修するのは性に合っておらず、半年の契約期間と同時に終了させてもらいました。

その後、もともと興味のあった原子炉管理システムの仕事を見つけ、そこでは8年くらい勤務していました。航空自衛隊時代に原子炉関係でも使っているマイナー言語を触ったことがあったので、その経験が活きましたね。

65歳、初めて触るプログラミング言語で仕事

自衛隊からエンジニアに転職_インタビュー

ー本当に色々な経験をされてきたんですね。今はWEBエンジニアとして活躍されている田中さんですが、初めてWEB開発に携わったのはいつ頃でしたか?

田中さん:実務としては65歳くらいで商品販売サイトの開発をした時が初めてです。Rubyというプログラミング言語で作られていたのですが、Rubyに触るのもその時が初めてでした。

ベースとなるシステムは元々ありましたが、商品を注文する部分の機能はほとんどゼロから作り替えるような開発で、要望を受けたらあとは要件定義から設計から実装まで一人でやる分、大変ですけどやりがいがあって楽しかったです。いわゆるアジャイルの開発スタイルもこの時が初めてでした。

ー初めてのプログラミング言語で仕事をするにあたって不安はありませんでしたか?

田中さん:そんなに不安は感じなかったです。散々色々な言語を触ってきましたから、「大丈夫だろう」という自信はありました。趣味でHTMLくらいなら個人で触っていたので、WEB開発にも特に抵抗はなかったです。Rubyという言語自体も慣れればそれほど難しいとは感じませんでした。

ー65歳というと年金を受け取れる年齢かと思うのですが、働きたいという気持ちがあったんですね。

田中さん:そうですね、ずっと働いていたいという気持ちもありますし、新しい技術に触れるのが好きなので。趣味と言ったら語弊がありますけど、楽しみながら働いています。

70歳で感じた”年齢の壁”

ー70歳になって改めてお仕事を探される際、苦労したことはありましたか?

田中さん:現実問題、70歳になってからいざ職探しをしても、どの会社さんも話を聞いてくれないんですよね。仕事内容を見て応募したいなと思っても年齢制限があったり、応募しても面接する前に断られてしまうので。その時に年齢の壁を痛感しました。

そんな中、エイジレスという社名に惹かれて「エイジレスさんだったら年齢関係ないんだろう」と思って応募したところ、本当に面談に応じてくれたんですよね。

いくつか案件を紹介してくださって、そのうちの一つが現在も働いているぴんぴんころりさんの案件でした。

ーエイジレスとしても田中さんのような技術者と出会えて本当によかったです。弊社との面談ではどのようなお話しをされましたか?

田中さん:これまでの経歴や希望の勤務条件など色々お話ししましたが、担当の方がよく話を聞いてくれて性格を掴んでくれたなと感じました。心理面だったり思考性を理解してくれたので、参画後もミスマッチがなく90%以上は希望が叶う職場でした。

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「フルリモート×フレックスタイム」働きやすい職場が見つかる

ーエイジレスでご紹介したぴんぴんころりさんでの働き方はいかがですか?

田中さん:非常に働きやすいです。ハーフコミットという形で参画させてもらいまして、勤務時間も朝から働く時もあれば、昼過ぎから働くこともあり、時間の融通はかなり利きます。作業が終わらないと夜まで勤務することもありますが、フルリモートなのでストレスなく働けています。

ー田中さんの希望とマッチする環境でよかったです。一緒に働いている方々の雰囲気はどうでしょうか?

田中さん:若い方が多いので会社の雰囲気は和気藹々としています。年齢差があるからといって質問しにくいこともなく、皆さんよくしてくれています。

Slackでは仕事以外の飲み会だったりプライベートなこともいろんな会話が飛び交っていて微笑ましいです。

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これからも新しい技術にチャレンジしたい

ー今後はどんな風に働いていきたいですか?

田中さん:これからも新しい技術に触れられる環境に身を置きたいですね。実は今の案件でもVueやGoといった初めて触るモダンな開発言語もあり、勉強できる機会を頂けてありがたいです。若くて優秀な方も多いので、日々刺激を受けています。

ー田中さんの活躍は全年齢の人々に勇気を与えていると思います。最後に、この記事を読んでくださった方へメッセージをお願いします。

田中さん:私は「習うより慣れろ」の精神でここまでやってきました。先入観に囚われずにどんどんチャレンジしていったら良いと思います!

ー田中さん、本日はインタビューにご協力いただきありがとうございました!

【編集後記】
田中さんと話していると、仕事柄無理にキャッチアップを続けているわけではなく、純粋な好奇心から新しい技術に触れ続けているという印象を受けた。技術の話になると前のめりになって次々と周辺知識を披露してくれるチャーミングな部分もあり、終始笑顔でインタビューを終えた。一つの領域をとことん突き詰める専門家もいれば、多彩なバックグラウンドから新しい領域へとチャレンジを続ける専門家もいる。これまでの様々な経験が評価されているからこそ、未経験の技術領域でも仕事を受け続けられるのだろう。田中さんの活躍は多くの人々に勇気を与えることと思う。これから益々の活躍を応援したい。

田中さんの取材記事は東京母さんからもご覧いただけます。

取材・執筆:網頭 翔真

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執筆者
エイジレスメディア編集部
エイジレス社会の専門誌として、すべての人が何歳でも豊かな暮らしを紡げるよう有益な情報を発信していきます。主に、エイジレスなビジョンを体現している人物や組織へのインタビュー記事を執筆しています。